(うぅ〜……、またやっちゃった……)
更衣室のロッカーの前で、わたしは小さくため息をついた。
フローラルとか、石鹸の香りとか。
そんな制汗スプレーの匂いが鼻をくすぐる。
落ち込みモードのわたしをよそに、周りのクラスメート達は思い思いのことを喋りながら、
着替えを進めている。
先週から始まった、体育の授業内容。それはバスケットボール。
わたしの苦手な、“みんなでやる”スポーツ。
「なぁ〜に? 凛ってば、まださっきのこと気にしてるんだ?」
「……あははは」
ニヤニヤしながら、右隣にいたよーちゃん――山瀬陽子はわたしの顔を覗き込んだ。
茶色のふわふわした髪の毛が揺れてる。
「ぷっ、くくくく……それにしても、まさかコートの中をずっと独走するとはねー」
そう言って、よーちゃんはケラケラと笑い出した。
わたしはなんだか顔中が熱くなって、それをごまかそうと、タオルで額の汗を拭くふりをする。
よーちゃんは、高校に入ってから出会った友達で、今では一番の仲良しだ。
肩より少し長い、柔らかそうな髪と、パッチリとした大きな瞳。
わたしよりも少し背が高くて、メイクもうっすらとしていて、すごく大人っぽく見える。
休みの日は、二人で遊びに行ったりもするし、何か悩みがあれば相談にのったり、のってもらったり。
そういうとき、よーちゃんは、よく好きな男の子の話をするけど、
わたしの悩みなんて「レポートおわんない〜っ」とか、そんなのばっかりなんだけどね。
「そのままシュートできたの、何回だっけ?」
「うっ、うるさいなぁーもうっ」
よっぽど、体育でのわたしの行動がおかしかったようで、よーちゃんはまだ笑い続けている。
学校指定のTシャツを脱ぎながら、わたしはさっきの授業を思い返してみた。
(……やっぱり、全力疾走した覚えしかない……)
もう1度ため息。
コートの端から端まで、ボール持ったまま走って、走って、…………走って。
そのままシュートするんだけど……これが全然入らないんだよね。
「パスくらい出せばいいのに」
「それができれば苦労してないもんっ」
そんなにわたしがおかしかったのか、よーちゃんは、目尻に溜まった涙をぬぐいながら、
やっとTシャツを脱いだ。
……って、そんなにわたし、おかしかったんだ?!
わたしが“みんなでするスポーツ”が苦手な理由。
それは、自分のことだけじゃなくて、周りのことも考えなきゃいけないからだ。
バスケも、サッカーも、パスしなくちゃいけないでしょ?
敵を目の前にしながら、味方のいる場所を見極めて、ボールを渡す……なんて。
「どこに誰にパスしようか」なんて考えるより、
自分で行動しちゃったほうが早いような気がするのは、わたしだけ……なのかな。
そんなことを思っていると、目の前でよーちゃんの大きな胸が揺れた。
(よ……よーちゃん、相変わらずおっぱい大きい……!)
薄いピンク色のブラに包まれた大きな胸は、それこそプルンとかポヨンとか、そんな音が似合う。
わたしの胸なんてぺったんこだから、ちょっと……ううん、実は結構憧れてます。
本当に、同い年なのか疑うくらいの……なんて、自分で言っててむなしくなってきた。
(……わたしも、もうちょっと大きくならないかな……)
そう思いながら視線を落とすと、今度は左側から別の大きな胸が目に入ってきた。
(う……うわ……こっちも大きい……!)
どうすれば、こんなに形の良い、柔らかそうな、
そして何よりも大きな胸が手に入るんだろう。
ついマジマジと眺めてしま…………
眺め…………
なが……
「……虫……さされ……?」
「え……? あ……っ!」
ポツリと呟いたわたしの言葉に、その大きな胸の持ち主が頬を赤くさせてそれを隠す。
さらさらとした黒髪のストレートに、ふちのないメガネ。
黒く、少し太めの緩やかな眉は、いつも真面目な彼女の性格をよく表している。
……クラス委員長の森野さんだ。
わたしの目に入ったのは、森野さんの谷間にある小さな点だった。
それは、虫さされの後のように赤く、彼女の白い肌に浮かんでいた。
「ちょっとちょっと!! それ、もしかしてキスマーク?!」
わたしが口に出してから森野さんが隠すまで、そんなにかからなかったはずなのに、
よーちゃんがどうしてか嬉しそうな顔で、声を上げた。
よく通るその声に、周りにいたほかのみんなが森野さんの周りに一斉に集まってきた。
「マジメだと思ってたのに〜ぃ」
「ねぇねぇっ! どこまで行ったの?!」
「大人の階段、上っちゃったのかぁ〜」
なんて、ひやかしの大合唱が始まる。
森野さんは更に顔を真っ赤にさせて、とっても困っているみたいだ。
「キス……まーく?」
よーちゃんの言った単語を、繰り返してみる。
一生懸命考えてみても、わたしの頭の中にはいつか映画で見た、
ナイスバディな女怪盗が予告状につける、口紅のあとしか、浮かんでこない。
でも、さっきの“キスマーク”はそんなカタチ、していなかったような……。
「ん? んんんんん〜〜? もしかして、凛ってば“キスマーク”がわかんなかったりする〜?」
「うひあっっ」
首筋から肩にかけて、ぞくぞくとした感覚が走り、わたしは小さく悲鳴をあげた。
振り向くと、話題の中心人物にちょっかいをかけていたはずのよーちゃんが、わたしの後ろに立っている。
い……いつのまに…………。
「そ、そんなことないもんっ」
なんだか含みのある言い方に、わたしは思わずそう答えて、セーラー服に袖を通した。
わからない……なんて答えたらどんなツッコミが返ってくるか……。
「ホントにぃ? て・い・う・か、あんたってどんなのがタイプなの?」
「タイプ……? なんのはなし?」
問いの意味がわからずに聞き返すと、よーちゃんは満面の笑みを浮かべて、
わたしの肩をバシバシとはたいた。
「な〜にいってんの! オトコよ! 好きなオトコのタイプ!」
「ぅえっ!? おおおお、オトコ?!」
ど、どうしてそんな方向も話がすす……ん……ってもしかして、もしかしてまさか……!
「よ、よーちゃん、キスマークの意味ってもしかし……」
「あっ、悪い! 凛にはまだ早かったかな〜。あんた、男の話とか全くしないもんね」
「それよ……」
「ごめんごめん。あんただけは純粋なそのままでいてよ」
言葉を遮って、よーちゃんはそう言うと、わたしの肩をポンポンッと叩きながら、
わざとらしくため息をついた。
「そっ、そんなこと……っ! わ……わたしだって、別に……男の子に興味ないとかそうことは……」
「んんっ? どんなんどんなん?! やっぱりあれかな。白馬の王子様とか?!」
「そうじゃな……っ」
「白馬の王子様より〜、あたしはちょっと悪いほうがいいな〜」
わたしが言い終わるより先に、今度は森野さんを囲んでいたはずのクラスメートが話に入る。
「わかるわかるー! なんかあれよね普段ワルぶってて、一緒にいるときは照れたりなんかするところがいいー!」
「えー。私はやっぱお金持ちがいいなー。収入って大事よね」
「そうそうっ! デートは毎回高級ディナーで〜、そのあとは夜景の綺麗なホテルのスウィート!」
「夢見すぎー! あたしは彼の家で……がいいなっ」
「そうそうっ。で、朝とか横で『おはよう』っとか言ってくれたり」
「もうっ、やだー」
(朝……よ、横で……お、おはよう……)
男の子と付き合うって……ただ一緒にいればいいだけなんじゃないのかな。
わたしは目の前の会話に、ついていけなかった。
そして、黙って、まだ履いていなかったスカートに手を伸ばす。
(わたしの……好きな………タイプ……か)
これから、わたしはどんな男性と出会うんだろう。
そして、どんな恋愛をするんだろう。
………うーん……。
……。
………。
……わかんないや。
でも。
カチっと、スカートの止め具をひっかけた。
セーラー服の襟を、そっと正す。
きっと、わたしを大切にしてくれる、わたしも大切にしたいと思える人に出会うことができるよ。
ずっと一緒にいたいと、思える人に。
だからきっと、焦ることなんて……ない。
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