**
「その……俺、袴多のこと、好きだ」
放課後の教室。
窓から夕陽の光が射し込んで、春の名残の暖かな風にカーテンがひらひらと揺れていて。
彼氏と……彼女。
それまでの私にとって、そんな関係は、少女漫画の中でしか知らないものだった。
「……う……うそ……」
「嘘じゃない」
思わず、口をついて出た私の言葉に、高屋くんは苦笑した。
もしかして彼に聞こえてしまうんじゃないかと思うほど、胸がドキドキしていた。
「だ……だって、高屋くんが……なんて……」
「俺は、冗談でこんなこと言わないよ」
彼はひとつ大きく深呼吸をすると、緊張のためか、少し強張った笑顔を私にむけた。
「どうして好きになったかなんて……俺にもわからない。でも……」
高屋くんは、まっすぐ私を見つめた。
光に、彼の黒髪がキラキラと輝いていた。
「……気づいたら、お前のことばっか考えてて……その……って、何言ってるんだろうな」
オレンジ色した夕やけに照らされて、よくは見えなかったけど、
私と同じように高屋くんも、顔を真っ赤にさせていたんじゃないかと思う。
照れて顔をそらした彼を見て、鼓動が更に激しくなった。
だけど。
信じられなかった。
どうして私を……そうも思った。
それは私が、袴多ひとみが、とても地味な人間だったから。
彼に釣り合うとは、到底思えないほどの。
「……わ、私……も……っ! 私も、高屋くんが……高屋くんのことが、好き」
震える声で答えると、彼はほっと安堵したように、「ありがとう」と言った。
こうして私たちは付き合う事になり、私と彼――高屋直樹くんの、
短く、一生忘れることの出来ない3ヶ月が、始まった。
それは、中学2年生の、夏のことだった――。
小さい頃からそうだった。
自分から、誰かに話しかけることが苦手で、いつも周りの空気に流されていた。
……だから、なのかな。
みんなに意見すること。
それがとても怖かった。
どうしてなのか、今ではわからない。
一歩踏み出す勇気がなかっただけ……なんて、在り来たりの理由を挙げておこうかしら。
あの頃の私は、伸ばし放題の髪をきつく三つ編みにして、同じ年頃の女の子がしないような、
黒縁の大きな、野暮ったい眼鏡をかけてた。思い出すと、少し笑っちゃうわ。
……でもそうやって一人でいるうち、自分を押し込めているうち、何か今までとは違う、
不思議な想いが生まれていることに気づいたの。
けれどそれは、決して外に出してはいけないものだとわかってた。
だから私は……あの頃の私は、その想いを隠し通そうと思っていたの。
中学に入学してから1年経ち、初めてのクラス替え。
それまでの1年間、一緒に勉強した子もいたけど、大半は初めて見る顔だった。
……同じクラスだった子だって全員覚えてないのに、他のクラスの子なんてわかるわけない。
今年だってきっと、今までと同じ。
みんなとほとんど交流することもなく、仲の良い友達も作れずに1年間を過ごすんだろう。
そう思っていた。
でも、そんな私に声をかけてくれたのが、高屋くんだったの。
『"袴多"……って、珍しい苗字だな。俺、高屋直樹。よろしく、お隣さん』
……彼の、笑ったときの白い歯がとても印象に残ってる。
短めの黒髪はさらさらしてて、"爽やか"っていう言葉がぴったりで、明るくて、運動も出来て。
もちろん、クラスでもすぐに人気者になった。
だから、私のことなんて気にかけないだろうって思ってた。
私は可愛くなんてないし、面白いこともだって言えない。
少なくとも私は自分をそう思っていたし、たぶん、他のクラスメイトも同じだったと思う。
それでも、彼は毎日、隣から話しかけてくれた。
いつも笑って、私の言葉のひとつひとつにも相づちを打ちながら。
『袴多はマジメ過ぎなんだよ。大丈夫だって。思い切ってみんなに話しかけてみな』
『……無理……だよ。だって……急に話したりしたら……みんな変に思うよ……』
『思わない。だって、俺は袴多と話してて楽しいからさ』
そうやって高屋くんは、私をみんなの中にとけこませようとしてくれた。
最初は、彼は私だけじゃなくて、みんなに……クラス全員に愛想が良いんだと思うようにしてた。
出来るだけ、自分の都合の良いようには考えないように。
だって私は……いつのまにか、彼のことが好きになってたから。
だから、高屋くんと彼氏彼女の関係となったあの日。
嬉しくて……嬉しくて、たまらなかった。
「俺さ、たまに思うんだけど」
付き合い始めてから、二週間ほど過ぎたある日の、学校の帰り道。
あの日と同じ、オレンジ色の夕やけが私たちを包んでいた。
いつもの河川敷の小道を歩きながら、今まで担任教師の物まねをしながら笑っていた高屋くんが、
急に真面目な口ぶりで話し始めた。
この小道をまっすぐ行くと、小さな駅がある。
そこは、毎日彼と出会い、彼と別れる……場所。
静かに、彼のほうに顔を向ける。
遠くで踏み切りの音が鳴っているのを、聞いたような気がした。
高屋くんの指が私の耳元に伸びる。
胸がときめいたのも束の間、彼は私の三つ編みをそっと引っ張った。
「三つ編みもいいけどさ、ひとみは髪をほどいても可愛いと思うよ」
「え……っ」
私の三つ編みを指で弄ると、高屋くんはいつもとは違う、少しはにかんだようだ笑顔を浮かべた。
男の子に意識して髪を触られるのは、もちろん初めてのことだった。
苦しいくらいに胸が高鳴る。
それは、もしかして鼓動の音が彼に聞こえるんじゃないかって、心配してしまうほどだった。
彼は、私のありのままの姿がいいと言ってくれたのだろうか?
私は少しためらったあと、きつく編んだ髪をほどき、おずおずと彼を見上げた。
「……こう……?」
伸ばし放題の、ウェーブがかった髪が風に煽られる。
すると彼は一度だけ頷き、ほんのりと頬を赤らめて、
「うん……可愛い」
と、呟いた。
高屋くんが、私を受け入れてくれた。
……私を。
私の全てを。
そのとき確かに、そう、思った。
「……っ! ひとみ?!」
私はいつの間にか高屋くんの腕を引っ張って、河川敷を駆け下りていた。
「ちょ……っ、待てって! ひとみっ!」
彼の声。
でも、私は振り向かなかった。
私は……私は、私自身を受け入れてくれる人に出会えたんだ。
きっと高屋くんは、私をわかってくれる。
「……っ……ひと……み……っ」
高屋くんが、また私を呼んだ。
けれどそれは、走り去るトラックの大きな音にかき消されて、私には途切れ途切れにしか聞こえない。
彼は、私を制するかのように何度も呼んだけど、私は気にすることなく走った。
夕やけに染まった河川敷で、唯一、その光が届かない場所。
小道と道路が交差する、そこに掛けられた大きな橋。
その橋の下で、私は立ち止まった。
すぐ横を、それほど浅くはない川が流れている。
ここなら影になって、誰かに見られることはない。
……そんな訳はないのに、何故か確信していた。
「……ひとみ……?」
呼吸を整えながら、高屋くんは私を呼ぶ。
不安げな顔を私に向けている。
「なぁ……、どうしたんだよ。ひと……」
「私のこと、好き……だよね?」
彼の言葉を遮って、私はやっと声を出した。
鼓動が鳴り止まない。
全力で走ったから。ううん、そうじゃない。
「私のこと……受け入れて…くれるよね?」
「ひとみ……?」
ブレザーのボタンを外す。
そして、それを脱いだ。
「なに……を……」
紐状のタイを外し、ゆっくりと彼を見上げる。
高屋くんは、どうしていいかわからないというように、私を見つめていた。
構わず、私はワイシャツのボタンに手をかけた。
肌が少しずつ露わになる。
|